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昨日,フォントを大きくして,ブログをアップしたところ,今度は,改行が見づらいとのご意見(既に修正済み)をいただきました^_^;
そのため,今回は,あえて,1文に改行を入れずに書いてみようと思います。

さて,今年の1月1日に,かぞえ年で44歳となり,ようやく後厄を抜けました。

厄に入る前は,「厄年なんて(フンッ)」とバカにしていたのですが,3年前に前厄に入った辺りから,体力が目に見えて落ちていったり,腰痛が出始めたりするなど,明らかに体の様子がおかしくなり始めました。
それまでは,睡眠時間を削ってバカみたいに働いても,何とかなっていたのですが,ちゃんと睡眠を取らないと,体がもたなくなってもきました。
極めつけは,本厄真っ只中だった,一昨年の夏の胆石症・・・(T_T)
昨年の健康診断では,肝臓の数値が少し高かったし。。。

やはり,40歳を過ぎるころになってくると,人間の体に変化が訪れるのは間違いないみたいです。。
「厄」という言葉の持つ,何かこう超自然的な表現が気に食わないこともあり,バカにしきっていたのですが,やはり昔の人の経験則というか知恵は,侮れないものがありますね・・・

思えば,ここ数年,特に独立開業してからは,休みも満足に取れず,運動もろくせず,健康に良いことは何もない毎日を送っていたと思います。
これで,よく今まで体を壊さずにやってこれたものです。

今年のお正月に,あまりにも自分の体力が落ちていることに愕然とし,平成27年の目標を,「継続的に運動すること」と決め,軽い運動を始めました。
すると,1月中旬になるころには,姿勢は良くなってくるし,疲れにくくなってくるしで,メキメキと効果が現れ始めました。
昨年は,あれだけ朝起きるのが辛かったはずなのに,最近は目覚ましの鳴る前に起き出してしまうほどです\(◎o◎)/!

無事(でもないか?)に厄を抜けたとはいえ,放っておくと衰える一方の体ですので,これからも体を動かすよう注意していこうと思います!!


でも,せっかく久しぶりに2日連続で日記更新したのに,2日とも何か不健康自慢みたくなってしまいました^_^;













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やはり,40歳を超えたせいか,同世代の友人達から,「PCで見ると,ブログの字が小さくて読みづらい!」というクレームをいただくようになってしまいました^_^;

なので,今後は,このサイズのフォントで書いていこうと思います。
ただ,私のブログって,比較的字数が多い方なので,スクロールの嵐になってしまわないか,ちょっと心配です(既に,まだ枕にもかかわらず,結構な量に見えてしまいますね。。)。

あっ,ちなみに,私は,まだ老眼は入っていません。むしろ,ここ数年近眼が進んでいるくらいです。

というわけで(?),今日は,目にまつわるお話です。

実は,一昨年の年末あたりから,ドライアイがひどくなり(結構前から目が突っ張られるような気がしていましたが・・・),定期的に眼科に通院し,点眼薬をいただいています。

先日も診察してもらったところ,お医者さんから,眼球の奥にある視神経乳頭に凹みが見られると言われました。
「視神経乳頭陥凹」というそうですが,緑内障の場合によく見られる症状らしく,視神経乳頭が眼圧に負けて,凹んでしまっている可能性があるそうです。
眼圧は正常数値なのですが,眼圧が正常でも緑内障の場合もあるそうです。

近眼による場合もあり,必ずしも緑内障というわけではないそうですが,念のため,次回診察のときに視野検査を受けることになりました(緑内障だと,視野が徐々に狭くなっていくそうです。)。

実は,緑内障の疑いがあると言われたのは初めてではなく,2年半前にも同様に視野検査を受けたことがありました。
このときは,検査の結果視野に全く異常が見られず,むしろ,検査をしてくれた
方に,普通の人より視野が広いくらいだと笑いながら言われましたが。。。

いずれにせよ,弁護士は,みなさんが想像される以上に,PCに向かっている時間が長く(ひどいときになると,1日15時間くらいPCに向かうときもありますから・・・),目に対するストレスはものすごいです。
私なんぞ,若いころあんなに大好きだった読書を,全くしなくなってしまったほどですからねえ。。

これからは,ちゃんと定期的に検査を受けて,異常を早く見つけるようにしようと思います。
目が悪くなったら,全く仕事にならなくなりますから。

スマホが普及して以降,より一層目に対するストレスが増えてきた気がします。
みなさまも,十分に目を休ませるようお気をつけ下さいね!



前編のアップから,3ヵ月半ほどが経過してしましました・・・。

前編はコチラ

なお,前編について,一部事実誤認をご指摘いただいたので,修正を加えています。
ご指摘いただいたのは,2学期の中間テストの時期についてです(10月下旬ころに行われるのが
一般的だそうです。)。
私は,2学期中間テスト後に入塾したとばかり思い込んでいましたが,実際は,中間テスト
の少し前に入塾していたようです(そういえば,そんな気もしてきました。。)。
入塾時期は,逆算すると10月上旬~中旬ころのようです。

最近になり,多くの方から,早く続きを書いてほしいとのリクエストがありました。
こんな自分史,皆さん興味ないかな~と思いつつ書いたので,予想外の反応でしたが,
嬉しい誤算でもありました。
それにもかかわらず,大変長らくお待たせして申し訳ありませんでした。

今回は,全3話(予定。。)中の2話目になります!
長くなりますが,よろしくお願いします<(_ _)>

************************************

入った塾は,成績別で2クラスに分かれていました。
私は,1学期の成績が悪かったのと,学校の勉強についていけてない状況だったため,
成績が低い方のクラスに入ることになりました(こちらのクラスでは,より基本的な内容を
反復して教えていました。)

この塾の基本的なスタンスは,問題演習を繰り返すことにあったと思います。
基本的な内容の講義がされた後,ひたすら問題演習をして,答えの解説
をするということが繰り返されました。

そして,これが,私にピッタリとハマりました。
私が勉強を嫌いになった理由は,学校の勉強に目的意識を持つことができないからでした。
ところが,「この問題を解く」という単純明快な目的を与えられると,
そのために必要な行動(知識を仕入れる,理解を深める,解法を研究する,間違えた理由を研究する等)
も明白になり,見る見るうちに,学力が向上していきました。
それは,あたかもスポンジが水を吸収するようでした(ま,元がカラカラのスポンジでしたから・・・)。

また,似たような問題を繰り返し演習させられることも,非常に有益でした。
これにより,見たことのある問題がどんどん増えていき,経験則で解けるようになってくる
からです。

そして,入塾して間もない時期に迎えた2学期の中間テスト。
一部の科目を除き,抜群にいい成績というわけではありませんでしたが,
1学期とは完全に別人でした。

元々得意中の得意だった社会科の歴史は99点,
同じく得意だった音楽は100点で,双方ともクラストップで大喜びしましたが,
それ以上に嬉しかったのが英語。
中1のころから,まともな点数を取ったことがなかったのに,平均点が悪い中
78点を取りました(レベル低・・・)。
答案を返してもらったときの先生の不審げな顔を今でも思い出します(しばらく経って
教えてくれたのですが,当初本気でカンニングを疑っていたそうですww)。

この結果に,自分の勉強の仕方が間違っていないことを確信し,より一層
勉強に集中するようになりました。そして,理解が進み,解ける問題が増えていくに連れて,
勉強が楽しくなってきました。

入塾してから1か月余りが経った11月下旬ころ,中2の3学期に行われるアチーブメントテスト
(ア・テスト)の模試が塾でありました。
旺文社かどこかが主催で,県下一斉に行われるこの模試を,昇り調子のまま
受験しました。

結果は・・・・

塾内でブッチギリのトップ,全県下でも20位台

すぐ,塾長先生から呼び出しがあり,「君を,すぐに上のクラスに編入したい。」と
言われました。
後になって,先生から聞かされたところによると,上のクラスの上位層が,下のクラス
にいた私が模試で好成績を収めたことに大きな衝撃を受けていた。そんな中,私を
クラスに投入すれば,お互い必ずや刺激を受けて,良い意味での競争意識が芽生えるのではと
考えたとのことでした。

上のクラスに入ってみると,やはりレベルが違いました。
勉強内容もそうでしたが,やはりまわりの人の意識や実力が違う。
思えば,私は,塾に入るまでほとんど勉強したことがない人間だったのですから,
それまでの積み重ねからして違うわけです。
学校では,おちゃらけている人が,塾では無駄口一つたたかず,黙々と勉強している様にも
衝撃を受けました。
それまでは,単純に勉強を(新鮮なので)楽しんでいたという感じでしたが,
このとき初めて,もっと上に行きたいという意識が芽生えました。

そこで

僕はあの人達に勝ちたい

とばかりに,それまで以上に勉強に励むことになりました(また,ガンダムオチですいません。。)。

ちなみに,中学時代に入っていた部活のテニス部は超ハードで,毎朝6時過ぎにコートに来て
ミニグラウンドを走りこんだ後,コート整備を行い,夕方は日が暮れるまで
練習がありました。
土日も朝から日暮まで練習があり,休みは,お盆と正月の数日と試験期間中しかありませんでした。
そんな状況でも,何とか勉強時間を確保しようと,睡眠時間を大幅に削って
勉強しました(思えば,とんでもない体力ですね。。)。

その甲斐あって,2学期の学期末テストは,中間テストと比べても,更に別人のような
成績を取ることができました。
そのため,2学期の成績には,あれだけ沢山泳いでいた
アヒルさんが1匹もいなくなりました。

この頃になると,あまりの激変ぶりに,クラスメートや中学の先生方からも,
「どうしちゃったの??」,「何かやり始めたの??」と尋ねられるようになりました。


3学期に入り,中2の天王山ア・テストが近づいてくるに連れ,それまでの勉強を
楽しむ状態から,初めてプレッシャーを感じて勉強するようになりました。
塾に通う仲間達も同様で,塾内で頻繁に行われていた過去問や模擬問題の
演習では真剣勝負のごとき緊張感が張り詰めてました。

その後何度か塾で行われた模試では,初回のようにトップを取ることができませんでした。
それが悔しくて,ア・テストの過去集を買い込み,何度も何度も繰り返ました。
そんな良好なライバル意識が周囲にはたしかにありました。

そして,2月下旬か3月上旬ころに学年末試験を終え,ついにア・テスト本番がやって来ました。

・・(後編につづく)

ここしばらく仕事に忙殺されており,更新を怠ってしまって,申し訳ありません。
何とか隙間を見つけて書いていこうと思いますので,引き続きよろしくお願いします<(_ _)>

☆ ☆ ☆

さて,先日,判例検索システムを使って判例を調べていたところ,候補の判例に,
昭和44年5月29日の宇都宮地裁の判決が出てきました。
判決文の要約を斜め読みしたところ,後の最高裁の尊属殺重罰規定違憲判決の
第一審であることが分かりました。

尊属殺重罰規定違憲判決とは,最高裁が日本国憲法下で初めて法律を違憲と
判断した(法令違憲)憲法史上極めて重要な判例です。

平成7年に改正されるまでの刑法には,200条に尊属殺人罪という犯罪がありました。
現在の刑法は,明治時代にできた法律だったため,戦前の家制度由来の犯罪類型が
戦後もいくつか改正されないまま残っていました。
尊属殺人罪もその内の一つで,親や祖父等の尊属を殺害した場合の刑罰として,
死刑と無期懲役しかなく,3年(現在は5年以上)以上の有期懲役も定められていた
普通殺人罪(刑法199条)に比べ,極めて重いものになっていました。

ところが,昭和40年代に栃木県で起きた殺人事件の刑事裁判の中で,
この尊属殺人罪の合憲性が全面的に争われました。

嫌悪感を抱く方もいらっしゃると思いますので,詳細は省きますが,この事件の被告人と
なった女性は14歳のころから実の父親に強姦されて以来,夫婦同然の生活を
強いられて,父親の子を何人も身ごもるという異常な環境での生活を余儀なく
されていました。
女性が30代に届こうとするとき,職場で知り合った男性と恋仲になり,父親に
結婚したい旨話したところ,激高した父親から監禁され,更に性行為を強要さたり
罵倒されたりしたため,やむなく父親を手にかけた,そんな事件でした。

常識的に考えて,更にこの女性に実刑を課すというのは余りにも酷というものです。
ところが,上記のとおり,尊属殺人罪には死刑と無期懲役しか定められて
いなかったため,どんなに減刑をしても,最低3年半の有期懲役にしかならず,
執行猶予がつけられなかったのです(執行猶予は懲役3年以下から)。

そのため,女性の弁護人(無報酬で引き受けたそうです。)は,
尊属殺人罪が憲法14条の定める法の下の平等に反して憲法違反
であるとして争いました。

先ほど述べた宇都宮地裁は,尊属殺人罪を定める刑法200条を憲法14条
違反とした上,過剰防衛が成立するとして刑を免除しました。
ところが,控訴審の東京高等裁判所は,刑法200条を合憲と判断し,懲役3年6月の
実刑としました(ただし,第1審の未決勾留期間を全て刑に参入したので,実際に
刑務所に入る期間はかなり短くなります。)。
そこで,弁護人は,最高裁に上告。結果として,最高裁は,刑法200条を憲法14条に
違反して無効と判断し,女性に普通殺人罪を適用した上,執行猶予判決を下しました。

なお,当初の弁護人は,裁判中既に癌に蝕まれており,同じく弁護士の息子さんに
事件を引き継ぎ,最高裁判決を見ることなく亡くなってしまったそうです。

私は,高校生1年生か2年生のころ,本ブログのタイトルとなっている「尊属殺人罪が消えた日」
という書籍を読み,この事件のことを知りました。
この本を読んだ後,悲惨な女性の境遇は勿論のこと,命を賭すかのような弁護人の執念,法律の文言と
現実の狭間で非常に困難な判断を迫られ苦悩する裁判官等々のことを考えて,
とてつもなく重い気持ちになってしまいました。
その一方で,刑事裁判の面白さを知るきっかけ,ひいては弁護士という仕事に大きな興味を
持つきっかけになったように思います。

そういえば,大学に入学して「憲法判例百選」を買ったときも,一番最初に読んだ
判例はこれだったっけ。
大学卒業したばかりの平成7年にあった刑法改正で200条が削除されたときも,
心の中で万歳三唱したような。。
その後の受験生生活で余裕がなくなってしまったせいか,すっかり忘れていましたが
(・・・・),私の人生に大きな影響を与えた書籍と事件なのでした。

そんなことを懐かしく思い出しながら,第一審の宇都宮地裁の判決を読んでいたところ・・・

あれ??何か知っているお名前が出てきたぞ???

\(◎o◎)/!

この事件に関係した方が,意外に近くにいらっしゃったということに初めて気付き,
驚くとともに,いつかお話を聞いてみたいものだと思ってしまいました♪



昨日のブログに,「中学2年生は,私の人生のターニングポイント」と書きました。
今日は,そのことについて書こうと思います。

昨日のブログ↓
中学校の先生を囲む会


実は,小学生から中学1年生までの私は,勉強が大嫌いで,自宅で勉強する時間は
限りなくゼロに近い状態でした。
宿題出されてもろくすっぽやらないという体たらく。
当然,学習塾の類も行ったことすらありませんでした。

それでも,学校の勉強についていけないことはなかったし,そんなに成績が悪い
わけでもなかったため,余計に勉強しないという悪循環に陥っていました。
中学では部活がキツかったため,授業中居眠りばかりしていたのもいけなかったと
思います。。

ところが,中学2年生になり,科目によっては(特に英語)授業の内容が全然
理解できなくなってきました。
そのため,成績も急降下し,中学校2年生1学期の成績は,それはひどいものでした・・・
アヒルさんが沢山泳いでいた気がします・・・orz)。
当然のことながら,その状態は2学期に入っても変わりませんでした。

ちなみに,当時の神奈川県の県立高校の入学判定はというと・・・
①中学校2年生の学年末の成績と中学校3年生の2学期の成績から算定した内申点が50%
②入学試験が30%
に加えて
③当時中学校2年生の年度末に行われていた9科目の「アチーブメント・テスト(ア・テスト)」
という試験の結果が20%
以上①~③を総合した点数から判断されていました。

つまり,中学2年生終了時点で,公立高校については自分の進学できる学校がある程度
決まってしまったわけです(それについては,批判も強くありましたが。)。

私が2学期の中間テストの状態ままで突き進むと,中学2年生の年度末の成績は勿論,
ア・テストの結果も目に見えていました。
さすがの私も,「本気でヤバイ」と思うようになりました。
多分,人生で初めての「本気でヤバイ」がこのとき訪れたのです。

どの位ヤバイかというと,その後数年に渡り,
そのときのヤバイと思った状況が夢に現れて,うなされてしまったほどです。。。

何とかしないといけないと思った私は,身近な友人にどうやって勉強しているかを
聞いたところ,そこそこ以上の成績を取っている友人は,みんな塾に行っていることが
分かりました。
そこで,私も,あれほどまでに嫌がっていた塾に通うことにしました。

大船駅を中心として塾は沢山ありましたが,比較的近所にあって,同じ中学校の友人
が沢山通っていた塾を選びました。
時期は,たしか2学期の10月ころ,2学期の中間テストがすぐそばまで迫ってきていた
ころだったと思います。

「何とかしなくちゃ。」と滝つぼにダイブする気持ちで飛び込んでいきました。

・・・次回に続く
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